先日京都に用事があった際、日が落ちてからあるバーに入ったところマスターの横で学生らしき女性が働いていたので話してみると大学に通っているという。 「学校はいつまで?」と尋ねると8月の半ばまでしっかりやっているというのだから少々驚いた。僕の教鞭をとる大学は7月末で夏休みを迎えるし単純計算で4月から15週間の授業をすれば、だいたい7月以内に終わるはずだと頭では思ってしまうのだが、私立と国立ではまた違うのかもしれない。 日本の大学のことを実はよく知らない。自分は京都の高校をなんとか卒業させてもらって(つまり苦手な科目があったが多めに見てもらった感が否めない)、秋口から新学年の始まるアメリカの公立大学に進んだ。だから日本で大学を教えることになって少し苦労したことはというと、学生たちの視点に立てないということだ。何せ彼らの実際のところの感覚というものを経験したことがないから共有できない。また、まぁ知っていても知らなくても問題はないのかもしれないが、実は1ヶ月前くらいまで、授業料のシステムを勘違いしていた。ひとつひとつの講座を受講するたびに授業料を収めるという感覚がアメリカでは一般的だったのだが、日本では年間の授業料が固定というパターンが一般的なようだ。なるほど時々現れない学生というのがいる。込み込みで支払ってもらった学費だと、目の留まった講座を片っ端から登録してあるからその中のひとつに出られない日があったとしても、罪悪感はないに等しいという訳なのだろう。自分の国のものだとはいえ未だにどこか抵抗のあるシステムだ。 そろそろ大学の学期が終わる。 それで僕は学生たちに尋ねてみる;「春先の自分より、今の自分は賢くなったと思うか。できなかったことが、できるようになったか」と。 社会人である我々にしても同じ問いを投げかけることはできる。 「できなかったことが、できるようになったか」と。 ただ、何かができるようになった実感とは実践ののちについてくる感覚であって、使わずにいるままでは実感しようがないことも考えてみれば分かる。 なぜそんなことを今考えているか。日本人が外国語を学ぶ姿に共通する特徴がある気がしているからだ。 食事をしに店に入ったら、若い日本人の男性が年配の女性に何やら元気に英語で話す声が聞こえてきた。 オチから言えば、年配の女性は若...