他人と自分のつながりとはなんだろう? 僕は時々そんなことを考える。都会に住んでいるせいもあってそんなことに関して考える機会も多い。 僕を知る人は知っていることがある。浅草に事務所を一時的に移した時期があるのだが、向かいに住んでいた若い女性が自殺してしまった。しかし彼女は随分と長い間発見されることなく、ついに家賃が引き落とされなくなってしまって不動産屋が訪ねて来て、家族を含めた誰もがようやくとうの昔に彼女がこの世を去っていたことを知ったという。自分を含めて誰一人気づかなかったこともあってその出来事は随分とショックだった。追い討ちをかけるように、その部屋のクリーニングが済むと、その部屋にはすぐに新しい入居者が引っ越して来た。以来、隣があることに少し抵抗がある。故に、一階丸ごとを借りられる物件に移り住んだ。時々そのことを思い出して考える。都会とはなんと無関心な場所なのだろうかと。 今日電車に乗っていると少し自分から離れたところで中年の男性がメガネケースを落とした。メガネケースは転がり座席に座っている乗客たちの足元をしばらく転がっていったが、誰一人目をやりもしない。皆それぞれがそれぞれのことをしていて、転がるメガネケースを止めるでもなく、拾うでもなく、ただただ、それは他人事なのだ。 一つだけ、今より若い頃考えていたことがある。電車の中で例えば独身の男性が魅力的な女性を見つけたとする。しかし電車の中には一般的にはその人に話しかける動機がない。故にその人に話しかけるとしたら話しかけられた方は警戒するだろう。 しかし仮にその彼女がその電車を降りて料理教室に向かったとする。そして偶然にもその独身男性も同じ料理教室に向かう途中で、教室に着いたら調理台のグループ分けで隣同士になった。そうするとそこで話しかけることは何の問題もない。趣味を聞き、仕事について尋ね、コーヒーに誘うことだって問題ないだろう。人は限りなく限定的な状況にない限り他人と言葉を交わすこと、関わり合うこと、そういったことができない。オープンな場所(電車)では十分条件の存在に思いがいかないのである。この二人は同一人物だというのに。