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Showing posts from August, 2018

時間は操れまいが、流れ方は操れる。

我々は時の流れを本質的にどのように感じたいのだろう? 早いと感じたいのか、遅いと感じたいのか? 明日になって欲しくない −−− と思った人がいるとする。 だからと言って、23:59で世界の時が止まることはない。 ただ、時の流れは自分の中に存在する。 「おはよう」とお昼頃に言う人がいる。起きてまもなければその人にとってはまだ一日が始まったばかり。時計の針とは関係ない。 少し話は脱線するが、私は大学のメディア学科にいるためか、学生たちに17時から始まる授業で「おはようございます」と言われることがある。おそらくこれは前述のそれとはまた別物であろう。アッチの方である (小林賢太郎氏の著書「 僕がコントや演劇のために考えていること 」"ちなみに僕たちが夜でも「おはようございます」と言うのは「お早い入りで」と言う意味です。(P.120)")。 それで話を戻して冒頭の問いだ; 私たちは、時間がどのように進むことを欲しているのだろう? 時間はしばし、「相対 (的 / 性)」という表現をされることがある。 相対性理論、と一般的に言われるものも、アインシュタイン自身 「1分 --- 。熱された鉄の上に腰掛ける時と、魅力的な異性と話す時では感じる長さが違ってくる」と解説をつけた。 つまり楽しければあっという間に時間は過ぎ、辛い中では時間の流れはゆっくりに感じると。 photo by gettyimages 皆さんも少しご自身の人生の中での時間の流れを考えてみてくださったら嬉しい。 私は働き始めてからというもの、かなり急き立てられる業種にいるせいで退屈はないが、時間の流れは早すぎると思ってきた。それとも体質なのか、先に話した授業だけでも例にとってみれば、やはり仮に17時に始まって、18時半に終わらなければいけないとどこかで考えていると1時間半は手のひらの砂が指の間をこぼれ落ちるかのごとくどこかへ行ってしまう。 そんなように今も感じる。 けれど近年は少しばかり(なぜか)そんな体感をもったいなく感じ始めたこともあり、実は意図的に時間の流れ方を「中和」させる努力をしている。 それは、ある待ち遠しいことと、何かしら焦らされる要素の両方を予定として同時に持っておくということである。 例えば待ち遠...

帰省に関して

「帰省」の本来の意味は「親の安否を確認する」であるという。 だから森鴎外は「帰省の正しい使い方は『親を帰省する』だ」と、言ったらしい。  とはいえ、そこは残念ながら自分で鴎外(1862~1922)の書いた記事を読んだわけではない。東大名誉教授の養老孟司先生が辞書と日本語に関するお話の中で教えてくれた。もっとも、鴎外が声を上げなければいけなかったのは、その当時から既に帰省という言葉を人々が「里帰り」という意味で使い始めていたからに他ならない。 それでも一応、帰省という言葉の成り立ちについて調べると、唐の時代の漢語に由来していることがわかる。各地方に飛ばされた役人が休暇をもらい、故郷へ帰って父母の顔を見る。それを元来、帰省といった。 日本人にとってお盆の時期は帰省する一つの機会である。 あまりにも一斉に大勢の人が都市部(主に東京)から地方へ戻るものだから東京駅や高速道路は毎回大混雑に見舞われる。下りが混む、というやつで、車は動かない、新幹線は立ち乗り。これは帰省ラッシュという言葉になっている。その混雑の中に実は私も毎年混ざっている。東京都在住の滋賀県出身だからである。 「東京に東京人はいなかった」 誰かが関西から転勤して、感想をそのように述べた。 お盆の中、同僚が皆里帰りする会社に勤めていればそう見えたのだろう。 幸いというべきか、私の住まいの周辺は先祖の代から東京在住、という人たちも多い。 だから東京で初めて見たのだが、お盆の「迎え火」という風習に則って7月13日に玄関で火をたく家を見ることができる(ちなみに東京のお盆は全国で一般的な8月13日〜16日に1ヶ月先立って7月に訪れる)。精霊が道に迷わずに無事家まで帰ってこれるようにという理由だそうだ。 写真:gooニュース 都市部出身の家族の中ではもう長らく地方のそれとはお盆のあり方も違うのだろうが、お盆とは日本人にとって何であろうか。 私はそんな疑問に大人になってから答えが見つかった。お盆とは、墓、寺、おじいちゃん・おばあちゃんのことだった。 墓とは先祖、寺は地域、祖父母は家族親類との関わり、付き合いである。 滞りなくいつもやって来ては過ぎるお盆だが、心配に思うことがないわけではない。 前述の三拍子を今の日本人は30年先も維持できるのだろうか。 都市部...

夢は誰が作っているのか

 単純な話、寝ていたら昨日夢を見た。 しかしその夢が普段の夢と少し違う種類に感じられたため、その話に少し触れようと思う。 海辺の街で何かしらの厄介なトラブルから自分が身を隠しているところからその夢はスタートした。 イギリスに見られるような曇り空の下には鎌倉のような海があり、自分はいくつかの荷物(小さなスーツケースまで持っていた)を持っているにもかかわらず、5階建くらいの建物の屋上に建物から脚を投げ出すような格好で座っているのだが、屋上だと思っていたその場所が実際は5階にある部屋のベランダ部分であったことに気づき、(追われているからか何かしらの理由で)そのベランダから鍵のかかっていなかったベッドルームにお邪魔してそこで荷物の整理をし始めたのだが、すぐ隣の部屋からは掃除機の音が聞こえてくるので、住人がいることはわかる。そしてやがて掃除機の音が止み、住人はこちらの部屋にやってきてしまう。これでは不法侵入になってしまうではないか。怪しまれても困るので冷静に振舞おう。そう努めて鉢合わせになった女性に挨拶をした。  女性はキョトンとした顔を(当然そんなところに私がいるのは理解できないだろう)一瞬見せたが、向こうもこういった状況での最善は冷静さを失わないことだと感じたのか、挨拶をしかえしてきたのだが、今日書きたかったのは、そこからである; 「こんにちは」と言ったその掃除機を持った女性の傍(わき)からせいぜい4、5歳ほどの子供が男の子と女の子二人、なんだろうと思ったような表情でこちらを覗くためにひょこっと顔を出した。 そこまできたところで頭は眠りから起き始めたのか、この子供達の母との会話はまだしばらく続くのだが、一方で思考のコントロールを一部自分が夢を見ながらも取り戻した。(きっとこれを読んでくださっている方の中にも夢を見ながら意識はあった、という体験をしたことのある人はいらっしゃるだろう。) その時私が回復する意識を使って考えていたことはこうである; 「一体誰が(何が/どこが)この話の展開を作り出しているのだろう??」 まず夢の中に ①追われている(?) ②身を隠す場所を発見する というところまでは夢という世界が用意する土台としては言ってみればありがちな話だと言えるが、(と、夢を見ながら考えているのである)...