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連れ去られた我が鞄

ニッポンは安全な国だと認識されているが、どうも必ずしもそうではないらしいことが実感としてわかってきた。自分が仕事で長年使ってきたカバンの一つが先日我が社のガレージからなくなってしまった。

僕の会社は東京都三鷹市井の頭にあるのだが、そもそも都内の別の場所から5年ほど前ここに事務所(当時は個人事業主であった)を移転させた理由もこの界隈がとても安全に見えたからだ。よく何処かへふらりと外出するとき鍵をかけずに出たりしている僕の姿を人は見て「危なくないんですか」と驚いた様子で聞いてくれたりしていたものだが、移転前のおよそ倍になるテナント料を払いながら、わたくしは安全安心な住所を得ているのですよ、などと少し得意気になっていたが、その住所でさえ、まぁこのように空き巣(とでも言えようか)にあってしまえば流石に鍵かけることを忘れずに出かけざるを得ない。

僕の使っていたカバンは今では随分と普及していて、実は店頭はさることながら電車に乗ったり、街を歩いていたりすると、同じものをよく見るものである。だから僕が長年愛用したそのカバンとの突然の別れ以来、外で同じものを見かけると、僕のカバンは一体誰に連れていかれてしまったんだろうかと、そんな思いが頭をよぎる。

自分がうっかりと登山中に谷底にでも落としてしまい、目の前で下を流れる濁流に飲み込まれてしまったのであれば、長年連れ添った愛用品との顛末もまぁ理解できるのだが、勝手に誰かが盗っていってしまってはその途中が持ち主の認識から抜け落ちてしまうためになんだか勝手に色々な空想が浮かんでくる。誰かにもらわれてよかったと思うべきなのか、誰かに連れていかれてそのカバンとしては無念なんだろうか、だとかそんなことを思っているうちに新しいものを買って、いなくなってしまったカバンの代わりになるカバンに仕事に使うものを詰め込まなくてはいけなくなってきてしまったのだが、まだ、どれにしようか、と迷えもできていない今日この頃だ。

追記:たまたま世話になっている不動産屋と話す機会があり、そんな愚痴を電話口で漏らしたら、「ニシザワさん、建物の中で発生した盗難なので警察に被害届を出して手続きすれば契約時に加入している保険で被害総額の20%が戻ってきますよ」と言ってくれるのだが、もしかすると道に対して扉も何もないオープンなガレージにドアでも取り付けることが先なのかもしれないとも思える。そうこうしているうちにおそらく助言いただいた被害届の件はきっと忘れてしまうことだろう。無くなったそのものを埋め合わせることはそれくらいきっと容易じゃないのだ。


2017年6月23日(金):今日の世の中の主な出来事
故司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」最終回と「坂の上の雲」第1回の自筆原稿が見つかったことを司馬遼太郎記念館が発表。自筆の大家はもしかしたら彼が最後らへんなのでは。司馬さん以降の作家はMacBookに移っていった人たちも多いですし。

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 子供が親に抱っこされながらこちらに手を振って来る。 それで考えたことがある; あれは、日本語の仕草なのか、輸入されたジェスチャーなのか。 もっと言えば、日本人はいつから手を振るようになったのだろうか。 例えば平安時代、日本人は手を振っていたのか。  残念なことに僕が気になってから探してみた限りでは、日本人がいつから手を振るようになったのかはわからなかった。今もわからないままだ。 しかし世界規模で考えると、「手を振る」というジェスチャーに関する記録は18世紀ごろからあるという。元々は軍隊において兵隊の敬礼の役割を果たし、手のひらを見せるということが武器を隠していないという意味であったという話 (握手の起源も軍隊ではないがこれと同じだということは有名かもしれない)。またはハンカチを振って賞賛を浴びせるというジェスチャーが一般的だった頃、ハンカチを持ち合わせていなかった人がハンカチの代わりに手を振ったことから手を振り始めたという話など、世界史の中で見ると色々あるようだ。僕なんかは大学がアメリカだが、手の振り方にいくつもの種類があるということを芸術の授業の中で一つずつ習った。  そして我々を含め多くの国の文化の中で使われている挨拶としての手を振る行為は、元々西洋の耳が聴こえない人たちの挨拶だったといわれている。それがどうやらジェスチャーとして後に民衆全般に定着したということらしい。    皆さんは手を振っているだろうか。  個人的な話だが、僕は手を振らない。今までも手をパッと顔の高さあたりまであげるくらいはしてきたし、もしかしたらそれは今日も誰かにしたかもしれないが、横には振らないと決めている。なんとなく僕はそれは輸入された外国の文化のマネだと思ってきたので(実際は横に振るのはどちらかというと日本バージョンで、欧米では手を握って開くジェスチャーを繰り返して挨拶をする方が一般的だったりするわけだが)プラプラさせるのには今でも抵抗がある。その仕草をするのはどちらかというと何かを遠慮する時や否定する時「結構です、お金などいりませんから」、「いいえ、滅相もございません」みたいな時くらいか(滅多にない)。     ちなみに最後になるが、誰かに手を振るという行為を拒否している人間は他の文化に行けば大勢いる。例えばフィリピンでは人...

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