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車窓から

教員を勤める大学の所在地は千葉県。そして東京。どちらかというと東京がメインになりつつある。新しい年がやってくるたびに講座数が増えるため(学年が増えるためだ)、一介の経営者である身分の僕はお客さんから「どちらが本業ですか」という質問をよくされる。答えは両方だ。会社の定款には「大学・専門学校等へのカリキュラムの作成及び講師の派遣」を事業内容にすでに含めてある。

千葉というのは個人的には大学の授業を始めるまで特に縁がなかった。
東京ディズニーランドは千葉県にあるという。しかし未だかつて行ったことがない。先輩にあたる人がシェラトングランデで結婚式を挙げたので出席する際に舞浜駅で降りたことは降りたが、すぐにタクシーに乗って向かったのでディズニーランドに入場したことにはならないだろう。ちなみにタクシーの運転手はディズニーランドのことをデズニーランドと呼んでいた。舞浜駅で待機するタクシーの運転手にとってもディズニーランドは自分の運転する道の横にたまたまあるだけで、遊園地には関心がない、といったところだった。


千葉と東京の駅。違いは何か。
それは電車と人の関係だと言える。
五反田駅(東京都)に電車が入る頻度はおそらく3分に一本。もっとかもしれない。
千葉県になると徐々にその感覚は開いていき、JR外房線というルートになれば、一本遅れると駅構内の洒落たカフェでコーヒーとデザートを注文しても次の電車はやってこない。
不便だと感じる人もいるだろうが、東京がひっきりなしにカンカン(踏切の音)やってるだけで、理想的な電車の頻度は30分に一回、ないしは1時間に一本、それでいいと僕は思っている。「急ぐ旅でもあるまい」、そんな余裕を表すセリフが人生には必要だ。

千葉を外房線に乗って揺られていると気づくことがある;踏切、あるいはフェンスの向こうから電車を息子に見せている母親の姿だ。
子供はなぜか音の出る大きな乗り物が好きなようだ。しかし分量というものは大切で、3分に一回やってこられちゃ母親も電車に対して息子に「あ、またきたよ、あぶないよ」くらいしか言えないだろうが、30分に一回程度なら「ほら見てごらん、電車が来たねぇ」と声をかけてやれるのだろう。何が面白いかというと、「各駅に」そんな愛おしい母親と幼い息子が待っているのだ。各駅にだ。

東京に暮らすと移動に便利だとは思う。だが親、––ひいては家族–– のあり方に関してはあまりインスピレーションが湧いてこないことを認めざるを得ない。だからかもしれないが、やはり人口増加率は東京がダントツで低い。仕事はある、金はあるかもしれない。けどそこには、「家族的なもの」、「子供的なもの」が少ない。

だからこそ少しホッとするものがある。駅ごとに誰かが踏切の外で電車を待っていて、電車に向かって反射的に手を振っている幼児を車窓から眺めることというのは。

きっといつかはそんな息子たちもスマホを電車に乗っている間中飽きもせずにいじり倒す残念な若者になるのかもしれない。ややお疲れ気味の、ビジネスマンになるのかもしれない。けれども東京から少し出ると、まだ「電車でも見に行きましょうか」という発想が残っている。そう考えると郊外は尊い、そう思わずにはいられない今日この頃である。

東京都内では「まだこないかな」と電車の到着を待ちわびているのは慌ただしい我々大の大人なのだし。



2017年6月27日の世の中のニュース

世間を騒がせた森友学園の森友保育園が保育士の不足を理由に大阪市によって事業停止を命ぜられる。

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