車のエンジンの音は車内にいたらわからない。けれど外には結構響くものだ。
とは言えそれは過去の話になるのかもしれない。
プリウスの登場による驚きはガソリン車に比べ格段に燃費が向上されているハイブリットという技術だけでなく、そのエンジン音の静かさにあった。
夏が過ぎ、今ではすっかり朝晩は冷え込むし、日が沈むのも早いが思い返せばほんの1ヶ月ほど前まで我々は夏の暑さに額の汗をぬぐって歩いていた。どこかに駐車して休む時、車内のエアコンを切ったとしたら窓を開けても我慢できるものではなかっただろう。
コンビニなどの駐車場には近隣の迷惑にならぬようアイドリングをしないでくれというサインが大きく書かれている。けれどプリウスは騒音とは無関係だ。そうなるとプリウスなら構わないかもしれない。現に昼寝に便利だと言っているオーナー達の声を聞く。
新しい技術はこれまで禁止されていたものをクリアしていくのか。
しかし原点に戻れば本来の規則の意味はその実害ではなく「そうしないであげてほしい」という配慮の話だった。「静かになったのだから、それは構わなくなった」その手の理屈で解決したものは多い。
電子タバコも吸い殻が出ないらしいので何かをきっとクリアしただろう。
しかし厳密に考えるとそれと「ここでタバコを吸わないでくれ」はもともと別物なんじゃないか、とも思う。
考えてみると色々なものがオーケーになった。
飛行機の離陸着陸の際、携帯電話はもはやスイッチを切らなくてもよくなった。かつては切ってくれと目を光らせて座席を覗き込んでいた添乗員たちも今では「フライトモードにしてください」とだけ言う。
フラッシュを焚かなければ、美術館は写真を撮っても良い、会議でパソコンを開けても構わない、高校生たちもケータイを学校に持って行くことを許されている。そうやって本来「それはまずいんじゃないかな」というところから始まった決まりごとは日々世界のどこかでクリアされて来ている。
クリアしてまでどうしてもそうしようとしている私たちは少し立ち止まって考えて見てもいいのではないか。
そこまでして、それが、したいか?
我慢できないか。それが不便で何が悪い?便利なものなんて、それが不便でもいくらでも身の回りにあるだろう。なのにそれまで便利にしたいか。
ここが僕にはイマイチわからない。
何かを便利にすると大勢が喜ぶ。
しかし喜ぶなら善か。ラクを喜ぶだけで人間は良いのか。それは製品やサービスの生産者にとって有益であるから便利さを鼻先でちらつかされているだけではないのか。買わされようとしているのではないか?
大勢が喜ぶことが善なら喜ぶ人が多くなる世の中を作ろう。きっとそういうことで話は済むのだろうが、我々はとうとう、そんなことはとっくの昔からだろうが、便利さの追求に関して言うならば、ストップが効かなくなった。
とは言えそれは過去の話になるのかもしれない。
プリウスの登場による驚きはガソリン車に比べ格段に燃費が向上されているハイブリットという技術だけでなく、そのエンジン音の静かさにあった。
夏が過ぎ、今ではすっかり朝晩は冷え込むし、日が沈むのも早いが思い返せばほんの1ヶ月ほど前まで我々は夏の暑さに額の汗をぬぐって歩いていた。どこかに駐車して休む時、車内のエアコンを切ったとしたら窓を開けても我慢できるものではなかっただろう。
コンビニなどの駐車場には近隣の迷惑にならぬようアイドリングをしないでくれというサインが大きく書かれている。けれどプリウスは騒音とは無関係だ。そうなるとプリウスなら構わないかもしれない。現に昼寝に便利だと言っているオーナー達の声を聞く。
新しい技術はこれまで禁止されていたものをクリアしていくのか。
しかし原点に戻れば本来の規則の意味はその実害ではなく「そうしないであげてほしい」という配慮の話だった。「静かになったのだから、それは構わなくなった」その手の理屈で解決したものは多い。
電子タバコも吸い殻が出ないらしいので何かをきっとクリアしただろう。
しかし厳密に考えるとそれと「ここでタバコを吸わないでくれ」はもともと別物なんじゃないか、とも思う。
考えてみると色々なものがオーケーになった。
飛行機の離陸着陸の際、携帯電話はもはやスイッチを切らなくてもよくなった。かつては切ってくれと目を光らせて座席を覗き込んでいた添乗員たちも今では「フライトモードにしてください」とだけ言う。
フラッシュを焚かなければ、美術館は写真を撮っても良い、会議でパソコンを開けても構わない、高校生たちもケータイを学校に持って行くことを許されている。そうやって本来「それはまずいんじゃないかな」というところから始まった決まりごとは日々世界のどこかでクリアされて来ている。
クリアしてまでどうしてもそうしようとしている私たちは少し立ち止まって考えて見てもいいのではないか。
そこまでして、それが、したいか?
我慢できないか。それが不便で何が悪い?便利なものなんて、それが不便でもいくらでも身の回りにあるだろう。なのにそれまで便利にしたいか。
ここが僕にはイマイチわからない。
何かを便利にすると大勢が喜ぶ。
しかし喜ぶなら善か。ラクを喜ぶだけで人間は良いのか。それは製品やサービスの生産者にとって有益であるから便利さを鼻先でちらつかされているだけではないのか。買わされようとしているのではないか?
大勢が喜ぶことが善なら喜ぶ人が多くなる世の中を作ろう。きっとそういうことで話は済むのだろうが、我々はとうとう、そんなことはとっくの昔からだろうが、便利さの追求に関して言うならば、ストップが効かなくなった。

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