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河川のあり方

 ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらずは方丈記か。

 水の国日本ならではの諸行無常の情緒だ、とも言えるが、一応 water under the bridge というと欧米では「元には戻らないもの、過ち」を意味する慣用句でもあるから、ともに昔橋の上から川を眺めていた人が思いついたんではないだろうか。橋の上のようなある一点に自分が停止していれば水のほうは流れていくのでこういった発想に人はたどり着けたのだろう。

 ところで「ゆく川の流れは絶えずして」という言葉だが、印象としてはなんだか流れが速そうだ。血液の循環くらい「サラサラー」という感じ(血液の速度は速いところでは秒速1mを超えると言われる)。
 一方の「ウォーターアンダーザ〜」の方はなんとなくテムズ川というか、「スーーー」という感じ。「あぁ、少しずつ私から遠のいていってしまう」と感じていられる時間的猶予を感じる。


 話はだいぶ飛ぶのだが、河川は直線化することによってその流れを速めることができる。
 日本では昭和の初期にコンクリート化された水路がこの原理を用いてある風土病を撲滅させた。「日本住血吸虫症」である。現代では考えられない症状を引き起こす寄生虫による感染症の話なので若い世代の多くは知らないだろうが(まぁ僕も実体験として知っているわけではないので認識の度合いには限界があるが)、「日本住血吸虫」という寄生虫がかつて山形県の甲府盆地底部一帯を始め、東京の一部を含む関東から九州までの河川の下流域で恐ろしい感染症を蔓延させた。
 この日本住血吸虫はタニシの子供のような小さな貝であるミヤイリガイを中間宿主としたため、川・水路をコンクリート化し水流を速めることでその卵を孵化できなくすることでミヤイリガイの繁殖を防ぎ、最終的に駆除に成功すると、この日本住血吸虫症に感染する患者の数はみるみる減っていき最終的に撲滅に成功するのだが、河川はその後風土病の被害のない地方でもコンクリート化が進められ、生態系に大きな影響を及ぼすこととなる。蛍がいなくなる、メダカが絶滅危惧種となる、そういった話は遡るとここにたどり着くというわけだ。


 それでも最近色々と東京を見ていると思うのだが、小さな川などはほぼ100%河川整備されていると言えども、うまい具合に時間をかけて土が堆積したりして人工の中に自然を取り戻しつつある。大雨の度に上流から運ばれてくる土や砂利はコンクリート化された枠の中にあった殺風景な川をもう一度、歩く人が立ち止まって少し眺めていられる、生き物を探してみたくなる、そんな本来の川の姿に戻してくれている。



 ゆく川の流れは絶えず、その川はもとの川にあらず。
 しかしきっとまた、人は橋の上から川の流れの中に何か気の利いた、後世に残る言葉を思いつくだろう。その時代時代に合う流れがいつの時代も、きっと川の中にはある。

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